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セルビア風景

道端のポピー】

ベオグラードから北へ、ズレニャニンという町へ向かう道路沿いで撮影。 

【ロムリアーナ】

ベオグラードから「一寸行く」には距離があるのが難点(片道、車で3時間程度)だが、2007年に世界遺産になった遺跡ロムリアーナは皇帝ガレリウス生誕の地。 

【疑問符喫茶店】 
 

古い、多分ベオグラード初期の喫茶店。初代店主が「教会の隣」喫茶店と名づけたら、教会側から「教会」を店の名に使うなと抗議され、「じゃあ、どうすればいいの?」と「カファーナ・『?』」としたとか。2階がせり出した典型的なトルコ風建築。また、ベオグラード(白い町)は、こういう白い漆喰の家が多く、町が白 かったところから来たと言われている。 

【疑問符喫茶店で出されるコーヒー】
 

セルビア(ベオグラード)で出される典型的なトルコ・コーヒー。
ジェズバと呼ばれる器で、一人前ずついれる。
砂糖の量を好みで入れた水を沸かし、そこへやや焦げすぎるほどに煎った豆をうんと細かく挽いたコーヒーの粉を入れ、沸騰させて出来上がり

【国会議事堂】 
 

1926年建設の国会議事堂。黄色いバスは、日本寄贈(無償援助)の93台の内の1台。 

【年末のイルミネーション】 
 

年末年始のベオグラードの目抜き通りのイルミネーション。 
セルビア正教の暦で、通常のグレゴリー暦より1週間遅く、1月1日がクリスマス、1月7日がお正月。 

【スメデレヴォ城塞跡】
 

ドナウ川沿い、ベオグラードの下流40kmの場所に位置するスメデレヴォにある城塞跡。15世紀、ベオグラードがハンガリーの支配下になった時期には、この地域の首都となり、当時の平地の城としては、欧州最大規模のものであった。

【カレメグダンから望む夕日】
 

シルエットになっているのは、1928年バルカン戦争、第一次大戦におけるオットマントルコやオーストリー・ハンガリー帝国への勝利を記念して建てられた「勝利者」の像。カレメグダン要塞跡の公園の西端、ドナウ川とサヴァ川の合流点を見下ろすと同時に、北西方向へ広大なパノニア大平原を見渡す。 

【ゼムンの街並み】
 

サヴァ川を挟んで、ベオグラードの対岸、ドナウ川沿いの町。 
ベオグラード同様、紀元前3世紀にはケルトの町として存在していた古い町。 

【カレメグダン(ジダン門)】 

 

カレメグダンは、紀元前3世紀からケルトやローマの要塞として発展した城塞跡。主が代るたびに破壊、再建を繰り返し、現在残る要塞跡はオットマントルコやオーストリアハンガリー時代のもの。この門は、その内側のイスタンブール門につながるもの。

【新ベオグラードの友好公園】  

 

第二次大戦以前は、湿地帯であったと言われ、戦後、埋め立てられ「新ベオグラード」となった地域の一部分、「友好公園」。白い建物は、現代美術館。 

【旧チトー元帥通り】
 

現在は、ミラン王通り。ベオグラード中央部、共和国広場から スラヴィヤ広場へつながる大通り。

【日本寄贈のバス】
 

無償援助で寄贈されたベオグラードの主要路線を走る93台の黄色いバスは、通称ヤパーナッツ(日本人)と呼ばれて日本の援助のシンボル的な存在になり、わざわざそのバスを選んで乗る市民もいたほどだった。 

【旧マルクス・エンゲルス広場】
 

現在は、20世紀初頭セルビアの政治家、ニコラ・パシッチの銅像が立ち、ニコラ・パシッチ広場と呼ばれるが、旧ユーゴスラヴィア時代を知る者にとっては、「マルクス・エンゲルス広場」。 

【向日葵畑】
 

ベオグラードの北方、ハンガリーへかけての穀倉地帯は、パノニア大平原と呼ばれる。食用油の主原料は、向日葵。 

【聖サヴァ教会】
 

ベオグラードのヴラチャール地区にそびえる、セルビア正教最大の教会。1935年に建設が始まり、第二次世界大戦をはさんでなおも、工事が続けられている。未完成のまま、礼拝やコンサートに使われている。土台部分はレンガが積み上げられているが、第二次大戦後つづけられた部分から鉄筋コンクリートになっている。 

【アン女王のレース】
 

自然の不思議、花の不思議の典型として、長く気になっていた花です。これまでもセルビアやモンテネグロで何度も見て、写真にも撮ってきましたが、今回再訪したモクリン村の郊外で絵になるものが撮れました。ヨーロッパ原産の花だそうで、セルビア特有のものという事ではありませんし、日本でも全国的にみられるそうです。
「アン女王のレース」という命名も関心をひかれるところですが、アン女王(1665--1714)のお召し物のレースのように見えるからとか、アン女王がレース編みがお上手であった、花によっては中央に赤い花が一つついているのもあって、それはアン女王が編んでいる時に指を刺して出た血であるとか諸説あるようです。